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ゴダール 『愛の世紀(ELOGE DE L'AMOUR)』

 映画だけにできること。映画だからできること。映画でなければできないこと。だから映画を創るのだということ。生きるということ。愛するということ。自由であり続けるということ。闘うということ。

 人間が創り出した光と陰の美しさ。人間だけが文化を持ち芸術を愛する。そのことの意味。

 突然提示される色彩の世界。生まれたばかりの地球のようなとても力強い映像。そして、あの色彩はなに?刈り取った麦の穂の色に似た黄金色。けれど季節は秋ではない。おそらく日没の遅いヨーロッパの夏の夕暮れどきの色。ヨーロッパの空気の色。印象派の画家たちがキャンバスに描き出そうとした色。映画が映画であるがゆえ、だからこそ表現できる色彩の映像。

 これはとても大事な映画なんだと思った。映画館から出て、しばらく腑抜けになっていた。この映画を基点として、2002年、わたくしのゴダール体験は決定的に始まった。

 レジスタンス=創作活動

 「歴史と普遍性のない国にはレジスタンスは存在しない」

 「彼らは人生を消費するだけ なにも創造しない」

 グローバリズム、北米的価値基準、人道主義を装ったエゴイズム、情報操作、商業主義、テクノロジー万能主義、思想性の欠如。おそらくこうしたものとの闘いが第二次大戦中の対独レジスタンスのアナロジーで捉えられているのだろうと、わたしは、理解した。ゴダールは激しく憤っている。この世界を覆い尽くそうとしている大きな欺瞞に。人間の思想の退行に。ヒューマニズムを装った新たなファシズムの台頭に。国家的暴力の残虐性に。文化的破壊行為に。ハリウッド的なモノに。たとえば、スピルバーグの偽善に。そしてゴダールは激しくプロテスト(異議申し立て)する。「映画」を創ることで。真の創造的活動の持続を通じて。それが現在の彼にとってのリアルな地下抵抗運動。

 「あることを考えるとき 実際はいつもほかのことを考えている。ほかのことを考えずに何かを考えることなどできない。たとえば新しい風景を発見したとしよう。その“新しさ”は自分が知っている他の風景と心の中で比較して認識される」

 ゴダールは今世紀最初の自らの映画に『ELOGE DE L'AMOUR』という名を与えた。(仏)ELOGE DE L'AMOUR のもともとの意味は In Praise of Love。すなわち「愛を讃えて」あるいは「愛の賛歌」。

 こんなどうしようもない世界に投げ出されてしまっているというのに、なのに、いや、だからこそ、ゴダールは愛を讃える。そのことに深い意味がある。だからわたしは深く励まされる。

 ラストのシーンを見終わったとき直感的に感じ理解した。ああ、そうなんだ、ゴダールはこんなに愛してたんだ。そして彼は今も愛しているんだ。だからこそこの映画を創ったのだ、と。

 ゴダールが愛した=愛しているもの。それはさまざま考えられる。たとえば、女性。たとえば、映画。たとえば、人間なるもの。おそらくは、それらすべて。

 「記憶。記憶は残る。それが記憶の権利。」

ゴダール監督『愛の世紀』+ミエヴィル監督『そして愛に至る』公式サイト:

http://www.godard.jp/

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