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多元的なイメージを合成する思考法

 「われわれの社会における言語が組織の多元化と並行して複数的になるということ、それからイメージ自身が、それがどんなに元来の対象から離れていても、そのイメージなりに社会的に通用して、独自の力になっていくという、この基本的な事実から出発して、全体状況についての鳥瞰をいわばモンタージュ式に合成していくような、そういうテクニックと思考法というものを、われわれが要求されているんじゃないかと思うのであります。」

 ふたたび丸山真男「思想のあり方について」からの引用です。

 「これがほんとうの『真理』なんだ、あとはみんなイリュージョンなんだといって安閑としていると、『イリュージョン』がどんどん新たな現実を作っていき、『真理』の方を置いてきぼりにして、現実が進行してしまうという、こういう状況のなかにわれわれはおかれている。」

 再度確認します。これは45年前、つまり終戦から12年後の1957年に丸山真男が書いた文章です。

 「十重二十重のイメージの壁のなかでひとり『真理』の旗を守るというだけではやっていけない。むしろどういうふうに、人々のイメージを合成していくのか、組織内のコトバの沈澱を打破して自主的なコミュニケーションの幅をひろげていくのかというのが、これからの社会科学の当面する問題ではないでしょうか。

 ちょうど犯人をさがすときに、犯人を見たという人々の印象からモンタージュ写真を作成するような操作が学問の方法の上でも考えられなければならない。」

 「社会科学の問題」という言葉を使っているのは、丸山真男(1914-1996)が政治学・日本政治思想を専門分野とする社会科学者(=思想史研究家)だったからです。けれどこれが、社会科学というひとつの学問上の方法論の問題などには限定されない、より包括的な広がりをもつ問題提起、45年後の今日においても十分な有効性を保持する、重要な問題提起に思われませんか?

 「原理原則から天降るのではなしに、いわば映画の手法のように、現実にある多様なイメージを素材として、それを積み重ねながら観客に一つの論理なりアィデアなどを感得させる方法を、もっと研究することが大事ではないかと思います。」

 「いわば映画の手法のように」

 「いわば映画の手法のように」

 「いわば映画の手法のように」

 この「思想のあり方について」が書かれた1957年は、スプートニク1号&ライカ犬をのせた2号打ち上げ成功(ソ連)の年、シリコン・バレーでフェアチャイルド・セミコンダクタ社設立の年、チョムスキー『文法の構造』、ハイデガー『同一性と差異』発表の年、モータウン・レコード設立の年。