ゆたかな経験が蝕まれ、その結果、巨大な精神的貧困が生まれた

「小学校の教科書に、ひとりの老人についての寓話がのっていた。この老人は臨終にさいして、自家の葡萄山には宝がうずめてある、と息子たちに教える。しかし、いくら息子たちが山を掘りかえしてみても、宝などひとかけらも出てこない。やがて秋がきて、その葡萄山には、国中他のどこを探してもみられないほど、ゆたかに葡萄がみのった。息子たちはそのときになってようやく、父が自分たちに遺してくれたものが何であったのかを悟った。それは、幸福は黄金のなかにはなく勤勉のなかにある、というひとつの経験だったのである。このようないわゆる経験を、おとなたちは、成長期にあったわれわれを相手に、たえずひけらかした。それには、おどかしの意味のばあいもあり、なぐさめの意味のばあいもあった。『くちばしの青いくせに、こいつはもう一人前の口をきく』とか『おまえもいつかはきっと経験するだろう』とか。おとなには、じじつ、経験の意味がよくわかっていたのだ。それは、たえず年上の世代から年下の世代へと伝えられてきたものである。年齢の権威をかさに簡潔な金言のかたちをとおるばあいもあった。老人特有の、おしゃべりで冗漫なものがたりになるばあいもあった。ときには、異国の話として暖炉のまえで、息子や孫たちを相手にかたられた。----こうしたことは、いまでは、もうみられない。まともなものがたりのできるひとが、いま、どこかにいるだろうか。指環のように世代から世代へとうけつがれてく不動のことばが、いまでも、臨終の場でかたられたりするだろうか。」

「こうしたことは、いっさい、もはやありえない。経験は、明らかにその株価を下げてしまったのである。それも一九一四年から一九一八年のあいだに、世界史上もっとも巨大な経験のひとつを味わった世代において、その下落がいちじるしかった。・・・当時、われわれは、戦場から帰還した兵隊が一様にむっつりおしだまっていたのを、この眼でたしかめたのではなかったか。そうだ、かれらには、ひとに告げることのできるような、ゆたかな経験などなかったのだ。・・・まだ鉄道馬車で学校へかよったことのあるひとつの世代が、いま、青空に浮かぶ雲のほかは何もかも変貌してしまった風景のなかに立っていた。破壊的な力と力がぶつかりあい、爆発をつづけているただなかに、ちっぽけなよわよわしい肉体の人間が立っていた。

 技術の巨大な発展とともに、まったく新しい貧困が人類に襲いかかってきたのである。占星術、瑜伽の行、クリスチャン・サイエンス、手相術、菜食主義、霊知、スコラ哲学、降霊術などが再生し、ひとびとのあいだ---いや、ひとびとのうえ---に、おびただしい思想の波がおしよせてきたが、この嘆かわしい思想の氾濫も、じつは巨大な貧困の裏がえしにすぎない。」

ヴァルター・ベンヤミンが1933年12月(ドイツにおけるナチス政権成立が1933年1月)にプラハで刊行されていた『言語世界』に発表された「経験と貧困」からの抜粋。

だけど、いま読んでも、ぜんぜん古いって感じがしないってのは、なぜじゃ?

2002/12/29 更新***

最初「ゆたかな経験を蝕むものとしての巨大な貧困」というタイトルでキーワード登録していたのですが、よくよく考えてみると、これはベンヤミンの言わんとしていることを正確に表現するものではないことに思い至り、タイトルを「ゆたかな経験が蝕まれ、その結果、巨大な精神的貧困が生まれた」に変更いたしました。

2002/12/31 更新***

よいお年を!

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