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「イスラム原理主義 (Islamic Fundamentalism)」って言葉は要注意

 反イスラム的言説はこれまで、イスラム社会というのは、テロと暴力、人権抑圧、反民主主義といった問題だらけの社会システムであり、それはひとえに「イスラム原理主義」のせいだと非難し続けてきた。

 ところが、ところがですよ、この「原理主義 (Fundamentalism)」という言葉。これ自体がかなりの曲者。というのも、「原理主義 (Fundamentalism)」という言葉は、米国のプロテスタントキリスト教徒のなかで特に過激な一部のグループを指すのに用いられていた言葉で、そもそも英語の Fundamentalism (原理主義) に相当する単語は、アラビア語にもトルコ語にも(さらにはフランス語にも?)存在しないという。

 ということはですよ、「イスラム原理主義」ってのは、要はレッテルってこと。レッテル。ものすご~く、単純に言ってしまえば。

 自分たちとは異なるなにか、自分たちがこれまで頼りにしてきた思考の枠組みを壊してしまうようななにか、容易には理解できないなにかに出会った時、それでもどうにか理解しようとあがき、歩み寄り、その「異質なもの」を「異質なまま」受け入れることで、自分たちが変容していく可能性に自分たちを積極的に開いていこうとするのではなく、すでに自分たちに馴染みの概念体系に無理矢理押し込めることで、「異質なもの」との真の遭遇を回避し、自分たちの思考の枠組が解体される恐怖から逃れようとする。

 それが「イスラム原理主義」というレッテル貼りであり、西欧世界(および日本を含めた非イスラム世界全体)がこれまでイスラム社会と向かい合った時の典型的態度だったのだということを忘れずに。

 もちろん、それが、これからの厳しい時代になんの役にも立たないことは言うまでもない。どんなにレッテルを貼りつづけたって、どんなに分析的な言葉を積み重ねたって、現実問題は解決しやしない。

 互いに向き合うこと、対等なものとして対話を始めること、互いに歩み寄ること、懸命に理解しようと奮闘すること、対話に対話を重ね続けること、それ以外に世界が崩壊を逃れる術はない。

 最終的にはコミュニケーションしか手段はない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/...