「想像的な確実さ、現実的な不確実さ。
映画の原理とは、光に向かい、
その光でわたしたちの闇を照らすこと。
わたしたちの音楽」
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王国1地獄
地獄の記録フィルム
それはなんども 形を変えながら 反復される
地獄への通路は 今もいたるところにある
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王国2煉獄
煉獄
地獄と天国のあいだの中間地点
わたしたちが 宙ぶらりんになったまま 日々の生活を送っている場所
「悲しみのすべてを知る」街 サラエボ
廃墟になった建物に残る砲弾の跡
壁の割れ目のずっと向こう側で 今も地獄と繋がっている
「すべてが終わり、何もかもが一変した。激しい暴力の爪あとが残った。民族浄化の暴力は消えない。その恐怖により、世界中の信頼感が消え失せた。昨日までの隣人が裏切り、拭いがたい憎悪が永遠に心に刻まれる。暴力が生命線を断つ。生き残ったとしても、もはや別人だ。」
煉獄
それは地獄と天国のあいだの中間地点
徹底的に破壊され失われた日常を 急速に取り戻そうとしている街
路面電車 活気ある市場 色とりどりの野菜や果物
1994年3月 サラエボの青空市場で起きたセルビア軍による大量虐殺
記憶を通路に 平穏そうにみえた日常は 突如 地獄のイメージに取り囲まれる
天国への通路はあるのか 罪はどうやって浄化されるのか
「似通っているから厄介なのだ」
許しあうことが そもそも可能なのか 激しい憎悪にまみれ 殺し合ってきた そのあとで
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王国3 天国
そこでは忘却のレーテの川は重層的な音の流れだった
自然の恵みのように瑞々しく繊細で豊かで美しい音の流れ
音楽 唯一の救済の可能性として提示されるもの
流された多くの血は
圧倒的なボリュームの音の流れによって洗い流されなくてはならない
ゴダールにとっての天国
それは天上のどこか遠くにある形而上学的場所
死者たちのために用意された想像上の空間などでは決してないはずだ
ゴダールにとっての天国
それは ありうべき可能性としての未来のイメージ
この地上にいつか出現させるべき現実のイメージ
思想やイメージは 現実化されるためにこそあるはずだ
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この映画には5人の作家・芸術家たちが実名で登場する
パレスチナ人詩人マフムード・ダーウィッシュ
スペイン人作家フアン・ゴイティソーロ
フランス人作家ピエール・ベルグニウ
フランス人作家ジャン=ポール・キュルニエ
フランス人建築家ジル・ペクー
彼らはみな自分たちの「言葉」で
ゴダールの言う「わたしたちの音楽 (Notre Musique)」を共に創っている
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この映画には
いくつもの扉が用意されている
引用・引喩・アレゴリー・メタファーの扉を開けて
過去から死者たちが次々と姿を現す
ある者たちは実名で ある者たちは名前を伏せ
けれど その言葉を聞いた時 その映像を見た時
(そしてもしかしたら その音を聞いた時)
それが誰なのか それは何なのか
愛する者たちには 分かる
確実に 伝わる
十分な起爆力を保持した言葉たち
映像
音
イメージの連なり
わたしたち生きている者の
感覚 感情 知性 想像力全体を媒介に
彼ら死者たちは言葉・映像・音・とともに蘇り
「わたしたちの音楽」を共に奏でる
なんと豊かな空間
なんと豊かな時間
わたしたちの音楽 Notre Musique
ゴダールはそこかしこに時限装置を仕掛けている
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近くの公園でウォーキングをするわたし
ウォーキングのスピードを徐々に上げていく
サラエボの街を小走りに走っていたオルガを感じて
立ち止まる わたし
あのときのオルガの表情が思い浮かんでくる
あのとき 立ち止まったオルガは なにを感じとっていたのか
彼女にぼんやりと見えていたのはなんだったのか
「よく晴れた日だった。遠くまで見える。でも、オルガのいる所までは見えない」
* * *
オルガが映画のなかでゴダールに渡したDVD。それは、この映画の解説http://www.godard.jp/ourmusic/... で指摘されているように「地獄篇」の映像だったのかも知れない。けれど、他の映像だった可能性もある。「天国篇」の映像がおさめられていた可能性だってあるはずだ。
第3部の「天国篇」とは、無私の死を遂げたオルガの追悼のためゴダールが用意した安息の世界と解釈し、涙しながら終わってしまっていいのかとわたしは言いたい。ゴダールの映画を見てそんな納得の仕方をするな。
「天国篇」で映像化されていた世界。あんなおしゃれで快活な若さに満ちた自由な場所。あのような場所を作り出したいとは思わないか。この世界に。この現実世界のあまねく場所に。
「巨大な破壊力を前に今こそ革命が必要である。
破壊に匹敵する想像力の革命だ。
記憶を補強し、夢を明確にし、イメージを実体化する」
詩を
小説を
哲学を
本を
建築を
演劇を
ダンスを
音楽を
映画を
女性を
人生を
未来を
愛する者よ
わたしたちの音楽 (Notre Musique) を
共に 奏でよう