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司馬遼太郎『街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2 』

《アラン島は、じつは”諸島”で、三つの島より成っている。

私どもの船が接岸したのは、その主島であるイニシュモア島である。

『世界地名大辞典』(朝倉書店刊)の「アラン島」の項に、

全島、石炭期の石灰岩によっておおわれていて、農耕地としては不毛である。人口はわずか一・六千であるが、約二〇㎢の面積に散在し、ゲール語を母国語にしている

とある。

このことはくりかえしのべてきたが、島は一枚の岩石でできていて土壌はない。

記録映画の名作といわれる『アラン』(MAN OF ARAN) でもそのようにえがかれていて、土壌がないということがこの作品のもっとも衝撃的な部分だった。この映画をみて、人間の偉大さに打たれぬ人はいないはずである。

ミレー(一八一四−七五)の「晩鐘」のなかの農婦のように黒っぽくて寛やかな木綿服を着た束髪の若妻が、ある場面で、黙々と作業をしている。

彼女は、岩の割れ目に手をつっこみ、風が運んできた土を両掌ですくっては、岩盤上の”畑”に置き、置きつづけるのである。

べつの場面では、若い亭主が、石盤をくだいて石くれをつくっている。石垣をきずいてせっかくの土が吹きとばされぬようにするのである。

さらに別の場面では、若妻が、海藻を背負い、岩盤をのぼって、わずかな土壌をたすけるための肥料としてそれを置く。

ミレーは、十九世紀のパルビゾン村に住み、働く農民を人間の尊厳という光源から描いたが、かれの農夫や農婦たちは、アラン島の農夫や農婦とくらべて、なんとしあわせなことだろう。ミレーの農民たちは、ふかふかとした土壌の上に足をのせているのである。

この島では、そうではない。ひとびとは、岩を撃ち、激浪に舟をうかべ、決して人間をやさしく包んでくれることのない自然と刻々とたたかってゆく以外に、生きることはできない。

記録映画『アラン』は、たいした映画である。》

(「カラハと葬送曲」『街道をゆく31 愛蘭土紀行 II』より)

この本を読んで、かつて劇作家の木下順二や、深代惇郎もこの石のアラン島を訪ねたことがあることを知った。

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