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子どもが皆殺しにされていることを知っていれば、それだけで反対理由になる

反戦運動は大学から起こった。学生たち、教師も若干参加して、ヴェトナム戦争を議論して、「これは反対だ」という結論に達して、毎日デモをしたりいろいろやったわけです。そのうちに、米国内のほかの組織、たとえば宗教団体とか、一部の経済団体もそうですけれど、学校外の団体、一般市民の中に反戦の人がだんだんに増えてきた。

あとのほうになると、今度は大衆メディアも巻込んでいった。新聞、そして最後はTVまで巻込んで激しい全国的な反戦運動になって、各局一九六八年のテト攻勢のときにはジョンソン大統領を追い詰めて、北爆中止と、もう一度大統領選に出ることを辞退させた。

大学の中の、反戦運動の集まりは、その頃 "ティーチ・イン" といわれた行動だった。それが激しい形で出てきた最初の大学の一つは米国西部のカリフォルニア大学です。

私はカナダに住んでいて、カナダ西部の大学で教えていたのですが、そこがカリフォルニア大学とかなり連絡があって、ティーチ・インも波及してきた。もともとヴェトナム戦争は米国がやっているのですからカナダの戦争ではない。しかし、米国との関係が密接なので、カナダにも波及してきたのです。

私のいた大学でもティーチ・インをやった。ティーチ・インというのは、学生主体だけれども、教師も出てきた。私も教師だからそこのティーチ・インに出た。そうしたら、実に面白いことが起こった。あとで調べてみると、米国でも同じようなことが起こっているのですが,そのティーチ・インに参加して、いちばん最初にヴェトナム戦争の批判をするのは、物理学者と数学者とか自然科学の理論的なことをやっている人たちと、英文学科の教授とか、文学部の教授でした。それから、若干の社会学者、直接に抽象的な研究にふけっている数学者とか、英文学者は、その専門は戦争に全然関係がない。もっと専門が戦争に近い国際関係論とか歴史学、ことに米国史の専門家、政治学者たちはいちばん最後でした。とにかく先頭に立たなかった。

なぜだろうか。私がカナダの大学のティーチ・インに出席したとき、学生が反対演説をする。私も何か言ったかも知れません。とにかく反対演説がたくさんあったところへ、政治学の専門の教授が出てきて演壇に立って、「今、みんんなの話を聞いていると、学生は反対し、それからあと同僚教授の中にも反対している人がいるけれど、数学者だったり英文学者だったりして、みんな専門が違う。はっきりいえば、詳しいことは全然知らない。ヴェトナム戦争というのは、米国の政治問題だ。米国の政治について皆さん何もご存じない。ご存じない方だけが集まって反対しているような気がします」といったのです。「政治というのはかなり複雑なものだから、何も知らないで、一冊の本も読まないで反対されても困る。なぜヴェトナム戦争が起こったかということをもう少し詳しく、せめて二、三冊の専門書ぐらいは読んだあとで反対なさった方がいい。私は、今この段階では戦争に反対できない」という演説をしたのです。

その演説に対して私は反論をした。たぶんこつくことをいったと思うのです。ヴェトナム戦争は、あなたのおっしゃるように、どうしてああいう決定になって、こういうふうに発展してきたかということを理解するのは難しい複雑な過程でしょう。それはいわれるとおりです。その意味では私に知識がないということも確かにおっしゃるとおりだと思う。しかし、全然罪もなければ悪いこともしていない子どもまでたくさん殺されている。殺される事実をわれわれは知っている。たとえ、戦争を指導しているところで、どういう経過を通じてそれが決定されたかということを知らなくても、それは反対する充分な条件、理由になる。それは必要なだけではなくて、充分な条件である。子どもが皆殺しにされていることを知っていれば、それだけで反対理由になる。どういう経過でそういうことになったのかということを調べて知ることは、それはあなたの道楽かも知れないけれど、私の道楽ではない。》

加藤周一「知的好奇心について」(岩波現代文庫『私にとっての20世紀』所収) より

http://www.amazon.co.jp/私にとっての二〇世紀―付-最後のメッセージ-岩波現代文庫-加藤-周一/dp/4006031807/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1265739153&sr=8-2