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『天皇の逝く国で』

もっと早くに、関心空間にKW登録すべきだった本

これからの日本について真剣に考えたいと思っているひとたちにぜひ読んでもらいたい本

この本はこのように始まる:

「日本の天皇ヒロヒト追号昭和天皇は、一九八八年九月十九日、病にたおれ、翌八九年一月七日に逝去した。国葬は、海外から世界史上のいかなる葬儀をも明らかに上まわる数の貴顕参列者を迎えて、二月二四日にとりおこなわれた。この間の五か月半を、おおかたの日本人は重く張りつめた得意な雰囲気のなかで過ごした。この国が経済繁栄によって変貌をとげて以来、このときはじめて、第二次世界大戦とその負の遺産を省みる試みがなされ、とりわけ、被害者としてだけでなく加害者としての日本の役割に、目が向けられるようになった。だが同時に、このような批判的自省の新しい芽を摘みとり、あるいは完全に圧殺しようとする自主規制が、壮観なまでに実行されもしたのだった。

 この本は、ヒロヒトの死についての照察の試みである。そして十五年戦争(太平洋戦争)におけるあまたの死と、世界最大の経済的成功のもとでの、生きながらの死とでも言うべき日常の質についても、思いをめぐらしている。これはまた、忘却の気楽さと目もあやな消費の誘惑にあらがっている人びと、現在を過去に照らし、過去を現在に照らして考える姿勢を貫いている人びとにたいして、敬意を捧げるための本でもある。」

あの頃のことを思い出す

あの頃の空気

何度もなんども振り返っては考えてみなくてはならないことがたくさんある

知らぬまま

気づかぬまま

素通りしてはいけない「事実」がまだまだたくさんある

山ほどある

たとえば

沖縄のガマでどんなことがあったのか

そうしたことを知らずに

そうしたことを封印し続けたまま

わたしたちは新しい日本を作ることはできない

戦後は今も続いている

Emperor Hirohito Death (April 29, 1901~January 7, 1989)

http://www.youtube.com/watch?...

あの頃の あの異様な空気を 思い出せ!

http://www.msz.co.jp/book/detail/...

2010/06/23 追記:

2010年6月23日の今日は、65年前の太平洋戦争における沖縄戦で亡くなった人たちを悼みその霊を慰める「慰霊の日」。

平和の礎の前で手を合わせる多くの人たち、式典の様子。高校生の女の子が読み上げる「平和の詩」。首相のあいさつ。

そのあと、テレビカメラはひとつのガマの様子を撮影しながら、沖縄では「ガマ」とは、洞窟を意味すること。明かりがなければ、ここは真っ暗闇であること。ここに兵士たちが、姿を隠し、頭上の岩から滴り落ちてくる水滴を軍靴などに集めて飲んで、どうにか生き延びようとしたこと。そうしたことが、アナウンサーによって紹介された後、その場所に立てられた墓石に少しずつ水をかけてあげているひとの様子が映し出されていた。

「ガマ」で起こった本当のことにはなにひとつ、触れられていなかった。

それは、意図的なことなのか?それとも、無知ゆえなのか?

そうしたことをうやむやにしたままにしているから、そのことを多くの人が知らないから、

基地問題を始めとした多くの沖縄の問題を、沖縄の人たち以外の多くの人たちは自分たちの問題としてとらえることがない。

沖縄の人たちの心の苦しみに寄り添わない。

日本は、戦争中に起きた多くのことを、うやむやにしたまま経済だけを優先して進んできた。

けれど、それでほんとうにしあわせになったのか?

しあわせなのか?

それで金持ちになったのはだれなのか?

なぜ 今 国はこれほどの財政赤字なのか?

金はどこに消えたのか?

それは触れてはいけないタブーなのか?

もし今、生きることが大変だったなら、

同じように大変な別の人たちの「つらさ」も理解することができると思う。

だとしたら、自分も含めた、できるだけ多くの人がそのつらさから抜け出せるように、繋がっていこう。

どういう形でもいいから。

緩やかに繋がっていこう。

わたしは今でも覚えてる。

1988年、昭和天皇を見舞うために皇居前の記帳の列に軽いのりで加わっていたギャルたちの姿を。

車の窓から「お元気ですか〜」と言った井上陽水の言葉が不謹慎だと非難され、セリフがカットされたときのことを。

日本の好景気が見せかけに過ぎず、それは泡のごとく消え去る運命にあることなど疑いもせず、鼻息荒く闊歩していた連中が作り上げた街、東京の傲慢で異様な空気を。

あの頃の東京は、大嫌いだった。

バンクォーの亡霊はマクベスの宴席に現れることになっている。

過去を清算しに。

だから、忘れるな。

ガマでの出来事を。

この65年間の出来事を。

うやむやにしてはいけない。

未来を生き抜くために。

2010/07/21追記:

「最近ボスニアで虐待されたイスラム教徒の何所帯かがアメリカでセラビーを受けている話を耳にした。医師の一人は子供のころナチスの収容所体験がある人で、彼は患者の回復をけっしてセルビア人への復讐心の芽生えに見いだすのではなく、生涯脳裏から払拭できないと想定される暴虐の記憶と付き合っていけるように対話を進めているらしい。この報道を聞きながら思ったのだが、もし加害者が暗い過去を探ろうとしたら、その厳しいみちのりを誰が共にしてくれるのだろうか。われわれが近代の歴史をここまで生きてきた以上、【加害者もいわばセラビーを必要としていることを認めなければいけないのではないか】。文字どおりのセラビーというわけではない。ただ、自己の加害の歴史と向き合うことは、個人にせよ、国家にせよ、まれにその意志があったとしても、並たいていのことではない。だからこそ、責任を問われたものは、ひょっとすると被害者に鞍替えするーー兵卒にすぎなかった、まだ子供だった、生まれてもいなかった、結局は西洋帝国主義に強いられた戦争だった、というふうに。・・・・・・(中略)

 この惨めな輪廻をどうにかしてぬけでる道はないものか。あるはずはない。としたら、私たちは折々、【この責任回避の繰りかえしに歯止めをかける工夫を執拗に繰りかえさなければならない】。さまざまに必要な行為を地道に断定し、補償の支払いと鮮明な謝罪を速やかに行ない、さらに、有意義な反省とは何か、という議論を社会に、気長に、していかなければなるまい。このはるかにあいまいで困難な作業の核心をなす問題は、被害と加害の入り混じりではないか、という気がする。すると、戦争という大きな出来事、過ぎさったものとしての歴史、また(日本の場合)天皇制のような制度だけを視野に入れても到底まにあわない。やはり、【日常生活を私たち一人ひとりの歴史と世界にたいする責任の根拠地として考えていかなければならない】。」(ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』日本語版へのあとがき。【 】は Lucy による強調)

太平洋戦争が終わって65年だと言うけれど、実際は、なにも終決などしていない

未来を生き抜くため

わたしは、期待する

南アフリカの真実和解委員会の公聴会のようなものが日本でも始まることを

なにがあったのかを正しく知り、対話を始める

加害の歴史と向き合い、憎しみの連鎖を断ち切る

過去を清算することで、心の傷を癒し、自由を獲得する

それはやがて紛争や戦争の抑止に確実に繋がっていくにちがいない

そうしたことなしに本当の平和を構築することはできない

そうする勇気がないから

軍事力にすがりつく

そうする「強さ」がないから

でもお互い励まし合って強くなろう

そして次のステップに進もう

未来を生き抜くために

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