2011年6月4日(Sat)日比谷公会堂(東京)で開催された、「九条の会」発足7周年記念講演会「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』したか」での、哲学者鶴見俊輔の発言。
「科学を悪用してはならないというヒポクラテス以来の伝統が断ち切られ、科学は新しい段階に入った」
「国家予算によるビッグサイエンスは、自国、他国の数百万という人々の上に覆いかぶさることになる」
「日露戦争以来、大国になったつもりで文明の進歩をひたすら信じ続けてきた日本人は、敗戦後も目をそらしてきた根本問題に(震災と原発事故で)直面している」
「受け身の力をここで超えること。九条は、何らかの行動、態度の表明で裏付ける方がいい。不服従の行動の用意があるとさらにいい」
(『朝日新聞』2011年6月21日夕刊「鶴見俊輔、公園で震災と原発事故を語る」より)
バックに響き渡るのは、ソロー的「市民の不服従 (civil disobedience)」の理念。
《「政府というものは、できるだけ国民に干渉しないほうがいい」という言葉を私は心から受入れます。そのような政府がもっとすみやかに、そして円滑に実現されるのを見たいと思っています。そうなれば、最後は、「まったく干渉しない政府が最もいい」ということになると信じています。国民一人ひとりにそうした心構えができれば、私たちの政府はそうしたものになるでしょう。政府というものは、何かの時に役に立てばいいのですが、ほとんどの政府がたいていは役に立ちません。そしてどんな政府でもまったく役に立たないときがあります。
軍隊に対する不平不満の声が満ちていて、深刻な問題になってきていますが、やがてその不満が政府に向けられるのは、自然の成り行きでしょう。軍隊は政府の腕(アーム)にすぎません。政府は、国民が自らの意思を実行するために選んだ方法にすぎないのですが、それを通して行動する前に、軍隊がそうであるように、悪用され、本来の目的からそれてしまいがちです。現在のメキシコ戦争をよく見て下さい。あれは政府を自分の道具のように使っている少数の個人がやっていることです。国民はあんなやり方に、はじめは同意していなかったはずです。》
《私たちは奴隷の所有を、そしてメキシコでの戦争をやめなければなりません。たとえそれに国民としての存亡がかかっているとしてもです。》
《奴隷制や戦争に反対の意見を持つ人は多くいます。ですが、彼らは奴隷制や戦争を終わらせるために実際は何もしません。自分たちはワシントンやフランクリンの子孫だ、と思っていても、ポケットに両手を突っ込んだまま座りながら、どうすればいいのかわからないと言うだけです。》
《奴隷制の廃止を早められるのは、自らの投票によって自分自身の自由を行使する、彼の一票だけです。》
《私はためらわずに言います。自らを奴隷制廃止論者と呼んでいる人々は、マサチューセッツ州政府に対して身をもって奉仕したり財政的に支援することを、中途半端でなくただちに撤回すべきです。一票差の多数派を形成し、それによって公平さが広く行きわたるまで待つべきではありません。》
ヘンリー・デイビッド・ソロー『一市民の反抗:良心の声に従う自由と権利』(山口晃訳)
想像してみる。
「メキシコ戦争」を「核兵器保有」とか「プルトニウム保有」に置き換えて考えてみる。
もっと想像してみる。
他に置き換えて考えることができる言葉はないか探してみる。
わたしがその一部となりたい未来を想像=創造してみる。
Civil Disobedience, by Henry David Thoreau (1849) with annoyed text