ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ

《「原子爆弾」と「原子力」と何が違う?突き詰めていくと、器が異なるという一点だ。ウランだのプルトニウムだのを、ミサイルのパッケージに入れれば、「核兵器」になる。同じ放射性物質を原子炉に組み込めば、今度は「核燃料」と呼ぶ。どちらも、今の経済システムにおいては、がっぽがっぽ儲かる商売として成立するのだ。

 「被爆」と「被曝」と何が違う?原子爆弾を落とされた人間は「被爆者」と呼ばれるが、原子力発電所放射能汚染を浴びせられた人間が「被曝者」となる。でもどちらも、生命の基礎をむしばまれ、「ヒバクシャ」として終わりのない被害を受ける。》       

ーーアーサー・ビナード「 [ヒロシマナガサキ、フクシマ] 」(「日々のとなり」月刊アルコムワールド May 2011)

詩人のビナードさんは、ポイントを見抜いてる。

わたしたちは「被爆」と「被曝」という漢字の違いに騙されてはいけないのだということ。「被爆」も「被曝」も、とどのつまりは「放射能」に曝されること( exposure to radiation )を意味するのだから。

人類の歴史において兵器として実際に使用されたふたつの原子爆弾

ウラン原子爆弾が広島に。プルトニウム型原爆は長崎に。

「安らかに眠って下さい

過ちは繰り返しませぬから」

広島を舞台にした絵本を作るため広島の原爆資料館に通い続けているビナードさんは、平和公園にある慰霊碑の意味について自らに問いながらこう続けている。

《慰霊碑の「過ち」を、ぼくは「ヒバクさせること」と理解している。マーシャル諸島でもスリーマイル島でもチェルノブイリでも東海村でも過ちは繰り返され、福島第一原発もヒバクの渦だ。安らかに眠るわけにはいかず、原子爆弾原子力と手を切って、終止符を打つ以外に生きる道はない。》

目を閉じて、ヒロシマナガサキのまちのことを思い返す。

今もじっと身を潜めるようにしながらこちらをずっと見ている死者たちの気配。

立ち上がって、動き出したとき、道の向こうに未来が微笑む。

彼らも微笑む。

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