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ベトナムに出かけた時のこと

コンラッドの『闇の奥』は他の英文学の小説とは明らかに違っていた。その頃大学生だった私の頭のなかに作られたコンゴ川のイメージは、『地獄の黙示録』を見て以来メコン川のイメージと重なり置き換えられていく。だからなのだと思う、初めてタイを訪れたとき移動中の車のなかであれがメコン川でその向こう側がベトナムだよと教えてもらったとき、メコン川を遡ると一体なにが起きるのだろうという考えが浮かんだのは。

 

それから4年経ってベトナムに出かけた。バイクの洪水だとは聞いていたけれど、ホーチミン到着当日は怖くて信号のない通りの向こう側には渡れなかった。そのうち私も渡れるようにはなったものの、軽業師のようにひょひょいひょいと動き回る現地の人たちの身のこなしには美しさが宿っていた。

 

信号が変わったのに大通りの真ん中にひとり取り残された私を助けてくれたのはたくさんの竹ざるをリヤカーーにつけたおじさんだった。私を見た瞬間、道路事情が飲み込めていないため危険にすら気づいていないと判断、その私を助けるため通りの向こうからものすごいスピードで引き返して来てくれたのだ。しかもその大きなリヤカーを引っ張ったまま。

 

メコン川クルーズにも参加した。小さな船を何度も乗り継ぎ、メコンデルタの小さな島を幾つか回りながら、かつてベトコンがその茂みに隠れていたであろう狭くて蛇行した川を小舟で移動した。途中立ち寄った小さな島では水たまりで足を滑らせた。その様子があまりに滑稽で周りにいたみんなが一斉に笑ったけど、島の女の人がひとり、私の泥だらけになった靴をきれいに洗ってくれた。知らんぷりだってできただろうに、なのに私のことをまるで自分の子供ででもあるかのように扱ってくれた。隣で小さい女の子が不思議そうに私を見ていた。

 

ひたすらのどかな一日だった。まるで額縁に入ったひとつの絵を見ているような。

 

クルーズから帰ってきた私はダラットに出かけるため深夜の長距離バスに乗り込んだ。バスに乗り込むと周りにいたベトナム人の女の人たちが、次々、座席はこうやって倒すといいよとか、毛布はここにあるよとか私に教えてくれた。

 

朝方バスのなかで目が覚めフロントガラスの前の風景を見たとき頭に浮かんだのは沢田教一の写真だった。けれどもちろん道の真ん中には両手を広げ泣き叫んでいる裸の女の子は立ってはいなかったし、バスの乗客たちはみな安心しきって穏やかに眠っていた。

 

ダラットにはベトナムで一番美しいと言われていた駅舎がありプラットホームには日本製の蒸気機関車が置かれていた。バイクの後ろに乗せてもらいダラットの街をあちこち案内してもらった。泣けてきてしょうがなかった。現地のバイク観光の男の子(と思ったら後で小学生の女の子がいることが判った)になんで泣いてるのとか聞かれても涙がでるのだからしょうがなかった。あたりまえの日常が目の前に広がっていることがただただうれしかった。

 

ダラットでの宿泊所にはテレビもラジオももちろんインターネット回線もなく、だからその夜、日本への携帯電話が繋がらなかったのも電波状況が悪いのだろうくらいにしか思っていなかった。翌日やっと家族に携帯が繋がった。「大丈夫、みんな元気で変わりないから」「えっ、なんのこと?」「大きな地震が起きたんだよ。津波が来て、今、福島の原発が水蒸気爆発を起こしている」

 

2011年3月11日。私はベトナム中南部にあるダラットにいた。

 

 

はてなに 原子力に関わる問題について考え続ける(仮称)というブログを作ったこともここでお知らせさせて下さい。