世界を幸せにするグローバリズムの道

《今日、グローバリゼーションに異議を唱える声が世界中であがっている。グローバリゼーションにたいする不満は当然のことだ。ただ、グローバリゼーションは世のための力となりうることもたしかだ。民主主義や市民社会の理念のグローバル化は人びとの考え方を変えたし、グローバルな政治運動は債務救済や地雷禁止条約につながった。また、グローバリゼーションのおかげで数億人が、ほんの少し前まで彼ら自身やエコノミストが想像していた以上の高い生活水準を手に入れることができた。経済のグローバリゼーションは、それに乗じて新たな輸出市場を探し、あるいは外国からの投資を歓迎した諸国に恩恵をもたらした。とはいえ最も恩恵を受けたのは、市場には自動調整能力があって問題は自動的に解決されるという考えに頼ることなく、自らの運命を引き受け、政府が開発で果たすことのできる役割を認識した国だった。

 だが、数百万の人びとにとっては、グローバリゼーションは役に立っていない。職を失い、生活は不安定になって、多くの人の暮らし向きは実際に悪くなった。彼らは、自分たちにはどうすることもできない力にたいして無力感をつのらせている。民主主義がゆらぎ、文化がむしばまれるのをただ眺めているしかなかったのだ。

 グローバリゼーションが今後もこれまでと同じやりかたで進められ、われわれが間違いから学ぼうとしなければ、グローバリゼーションは開発の促進に成功しないばかりでなく、貧困と不安定を生み出しつづけるだろう。改革がなされなければ、すでにはじまっている激しい反発が高まり、不満はさらに大きくなるだろう。これはわれわれにとって悲劇であるし、とりわけ、そうでなければ利益をえていたはずの何億もの人々にとって悲劇である。》

《資本主義のシステムは今日、大恐慌のときと同じように重大な岐路に立っている。一九三〇年代には、雇用を生み出し、グローバル経済の崩壊に苦しむ人びとを救済する政策をケインズが考え出したことで、資本主義は救われた。いま、グローバリゼーションの改革によってより多くの人がその恩恵を享受できるようになるかどうかを、世界各地の何百万という人びとが静かに見守っている。

 ありがたいことに、こうした問題に対する認識は深まり、何とかしなければならないという政治的意志は強くなっている。開発にかかわるほぼすべての関係者が、ワシントンのエスタブリッシュメントでさえ、規制をともなわない資本市場の自由化は危険を招く可能性があるという点でいまでは意見が一致している。また、一九九七年のアジア危機で財政政策を締めつけすぎたのは誤りだったということでも一致している。》

《国際経済機関の変革と考え方の変革が必要である。自由市場イデオロギーのかわりに経済学にもとづく分析が必要であり、市場の失敗と政府の失敗の両方を理解したうえで、政府の役割についてバランスのとれた見方をする必要がある》

《多面的な改革戦略が必要なのは明らかである。国際経済協定の改革に関心が集まるのは当然だが、そのような改革には長い時間がかかるだろう。したがって、第二の戦略は、各国が自ら引き受けられる改革の奨励に向けるべきである。先進国には、たとえば貿易障壁をなくすなどして、自ら説くところを実践する特別な責任がある。

 だが、先進国の責任が大きいのにたいして、その動機は弱い。》

《したがって、発展途上国は自らの幸福について責任を引き受けなければならない。予算は乏しいかもしれないが、その範囲内でやっていけるように予算を管理し、少数の人には大きな利益を生むが消費者が高い代償を払うことになる保護貿易障壁をなくすことができる。また、厳しい規制を敷いて、国外の投資家や国内企業の不正行為から国を守ることができる。最も重要なのは、途上国には有能な政府が必要だということだ。つまり、強力で独立した司法部をもち、民主的な説明責任を果たし、開放性と透明性を備え、公共セクターの有効性と民間セクターの成長を阻害してきた腐敗とは無縁な政府が必要なのだ。

 発展途上国が国際社会に要求すべきことは、たとえば誰がリスクを引受けるべきかについて、自らの政治的判断を反映するかたちで途上国自身が選択する必要と権利を手に入れること、ただそれだけである。発展途上国は、先進国が先進国のためにつくった雛形を受け入れるのではなく、それぞれの状況に適した破産法と規則体系を自由に採用できるべきなのだ。

 必要なのは、公正で民主的かつ持続可能な成長のための政策である。これが開発の動機である。開発とは、少数の人を豊かにするのを助けたり、その国のエリート層を利するだけの無意味な保護産業をつくることではない。また、都会の金持ちのためにプラダベネトンラルフ・ローレンルイ・ヴィトンをもちこみ、田舎の貧しい人びとは窮乏状態のままにしておくことではない。モスクワのデパートでグッチのハンドバッグが買えるからといって、ロシアが市場経済に移行できたわけではないのだ。開発とは、社会を変容させ、貧しい人びとの生活を向上させ、すべての人に成功のチャンスが与えられ、医療や教育を受けられるようにすることである。

 国がとらなければならない政策をごく少数の人間が決定してるかぎり、この種の開発は進展しない。民主的な決定が下されるようにするというのは、発展途上国の広範なエコノミスト、当局者、エキスパートが議論に積極的に参加できるようにすることを意味する。また、エキスパートや政治家だけでなく、幅広い層の参与がなければならないことも意味する。発展途上国は自らの将来を引き受けなければならない。だが、われわれ欧米諸国も責任を逃れることはできない。》

《先進諸国には、グローバリゼーションを支配する国際機関を改革するつとめがある。これらの国際機関を設立した人間の責任として、それをあるべき姿に戻してやらなければならないのだ。グローバリゼーションへの不満をあらわす人たちのもっともな言い分に応えようとするならば、またこれまでグローバリゼーションの恩恵を受けてこなかった何十億という人びとにとってグローバリゼーションを役立つものにするつもりならば、そして人間の顔をしたグローバリゼーションを成功させようとするのであれば、われわれは声をあげなければならない。手を拱いて傍観してることはできないし、そうすべきではないのだ。》

ーージョセフ・E・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』第9章「世界を幸せにするグローバリズムの道」  

-7 July 2005

「市民社会の理念」とすべきところを「市民社会主義の理念」と思いっきり間違って書いてたことに気づいたので修正しました(ごめんなさい)。