『真実和解委員会という選択』

〈「何らかの長期的な観点からのメリット(注:治療や補償や解放など)がない場合であっても、和解を措定することによって恨みを超えて語りが始まる」

そして、その語り、場合によっては対話というコミュニケーションは、修復的司法 (restorative justice) という表現から説明されるのである。

「修復的司法という指針は、被害者・加害者・コミュニティがともに回復する方向性を模索し、促すものであり、これは従来の司法に欠けていたものだ」〉

(「加害・被害の人間関係が変わりうるという発想」『真実和解委員会という選択』、p. 201 ; 注は原文のママ)

阿部利洋『真実和解委員会という選択』

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【目次】

はじめに

序章 なぜ真実委員会なのか

 紛争後社会への新たなアプローチ/和解は理想か現実か/理念をどう捉えたらよいか/真実を追究するという復讐/以下の構成

第1章 真実委員会の登場

 壮大な実験/時代背景 ---- 一九九〇年の代の紛争/どこで行われてきたか ---- 実はたくさんある/真実委員会の定義 ---- 類似する組織との区別/何をするか ---- 公聴会まで/人々はどのように真実委員会を体験したか ---- 公聴会/理念について、もう一度問いかける

第2章 真実のモザイク

 真実は定義されていない/真実への懐疑/真実に対する葛藤/多元的な真実認識/記憶の復元過程に着目する/駆け引きの中の真実/真実はどこへ向かうのか ---- 「真実」は真実委員会だけが管理できるものではない/真実のモザイク ---- 第2章における理念と現実の重なり合い

第3章 和解の逆説

 和解という言葉は始めから戸惑わせる/和解とは心の変化のことか?/和解は相互理解として考えられるか/儀礼として和解を考える/逆説的な和解の理解

第4章 真実委員会を/がもたらす思考 ---- その同時代性

 消極性のプラグマティズム/不信の時代に集合行為を方向づける/加害・被害の人間関係が変わりうるという発想

参考文献

おわりに

〈真実委員会の活動を紛争解決の儀礼として解釈する場合、そこには「共同体の境界線を自発的に再規定すすること」以外にも、特徴的な要素を認めることができる。ロスは、真実委員会が「その罪をいかに裁くか」ではなく「過去をより理解する」という指針を採用しているところにも、儀礼的な特徴があると考える。儀礼というのは「単に決められたことをやるだけ」ではなく、ある種のコニュニケーションが保証され、さらには推奨される場を用意するのである。(中略)

 紛争解決の過程を通じて共同体の連帯感を回復し、あるいは高める、という機能主義的な理解も可能である。そこで話されている内容とは別の集合的効果があるのだ、と。けれども、ここにはもう少し異なる「事件」と「共同体」の認識があるものと考えられる。

 それが、「その共同体(社会)の認識を高め、あるいは深めていく」という姿勢である。(中略)

 言い方を変えれば「われわれのどこに問題があって、それがなぜこのような形で現れているのか」という問いかけに答えることが求められている。〉

(「共同体という主体を正常化する」『真実和解委員会という選択』、pp. 168-169 )

この部分を読んだとき、村上春樹の『1Q84』と頭のなかでダイレクトに繋がっていくものがあった。

【NOTES】

世界中で行われている「さまざまな真実委員会」一覧表が p. 42 に掲載されている。

ロス:ケープタウン大学の研究者フィオナ・ロス。真実委員会の活動を現代的な「儀礼」と解釈している。

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