慰霊

《あ、

 この焼けただれた顔は

 一九四五年八月六日

 その時広島にいた人

 二五万の焼けただれのひとつ

 すでに此の世にないもの

 とはいえ

 友よ

 向き合った互いの顔を

 も一度見直そう

 戦火の跡もとどめぬ

 すこやかな今日の顔

 すがすがしい朝の顔を

 その顔の中に明日の表情をさがすとき

 私はりつぜんとするのだ

 地球が原爆を数百個所持して

 生と死のきわどい淵を歩くとき

 なぜそんなにも安らかに

 あなたは美しいのか

 しずかに耳を澄ませ

 何かが近づいてきはしないか

 見きわめなければならないものは目の前に

 えり分けなければならないものは

 手の中にある

 午前八時一五分は

 毎朝やって来る

 一九四五年八月六日の朝

 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて

 いま在る

 あなたの如く 私の如く

 やすらかに 美しく 油断していた》

「アメリカ側から、原爆被害者の写真を発表してよろしい、と言われた年」に石垣りん

職場の組合書記局からの依頼をうけ「はじめて目にする写真を手に」書いた詩、「挨拶 原爆の写真によせて」(1952年8月の作品)。

《いま在る

 あなたの如く 私の如く

 やすらかに 美しく 油断していた》

頭のなかで、カチリと音がする

これとあれとがリンクする

あれとあれ

あれとこれが

あれとこれも

土門拳写真展で見た男の子の写真

小さな布団に横たわり

小さな掛け布団をかけてもらっている

顔の上には小さな白い布

お母さんのお腹のなかにいたときに被爆

学校に上がるか上がらないか位までしか生きられなくて死んでしまった男の子

小さなやせっぽちの男の子

自分の死を悟って「ぼくの写真 撮って」と土門拳に言ったという

頭のなかで 次々と

カチリ カチリと音がする