米軍は1966年に岩国基地(山口県)に核爆弾を搭載した艦船を常駐させていた。
これは日米安全保障条約の重要な違反である。
在日米軍基地への核兵器配備の事実は、当時駐日アメリカ大使だったエドウィン・ライシャワーには知らされていなかった。しかし、その事実を知ることになったライシャワーは、90日以内の核兵器の撤去を要求。もしそれが受け入れられなければ、事実を公表し、辞任した上でアメリカ軍の安保条約違反を非難すると司令官に伝えたという事実があった。
これは驚くべき事実ではないか。
いや、わたしたちはきちんと驚くべきなのだ。
これは見逃してはならない重要な歴史的事実なのだから。
そして、国際合意は遵守されなければならないと考えたこの駐日アメリカ大使の信念に敬意を示し、そうした信念を継承して行く方向性にこの国が進むことをわたしは望む。
「日本は、敗戦、復興を経て、平和を誓った国として、高潔な道義を堅く守るとともに、国連など国際的な場での紛争の平和的解決に、外交政策の基礎を置くべきである、と彼は信じていた。日本の教育システム、とりわけ大学院が改善されること、日本の若い世代が、同世代の中国人やアメリカ人と同じほどクリエイティブで自立心をもつようになるのを期待しただろう。日本の学校は、イニシアティブと大胆で斬新な思考を妨げることがあまりに多い、と彼は実感していた。
最後に、日本国民は、日本は核武装をすべきだと叫ぶ”ニュー・ナショナリスト”の主張を退けるだけの良識をもっている、と彼は信じて疑わないはずだ。日本が核武装をするなら、東アジアで核競争が起こり,最終的には、自分の身にふりかかる、と考えていたーー日本が中国と戦えばかならず敗れるからである。
端的に言えば、ライシャワーは、国際的な視野と器量をもち、英語を流暢に話し、世界のリーダーのあいだに影響力をもつ政治家が先頭に立つ日本を思い描いていた。彼は理想主義者であることを自認していた。理想なくして、よりよい世界のヴィジョンなくして、人間の進歩はありえない、と考えていた。」(『ライシャワーの昭和史』第11章「河口に近づく」p. 497)
ライシャワーの側近が語る新証言
目次
序文
プロローグ 邂逅ーーチャンス・オブ・ア・ライフタイム
第1章 日本に生まれて「ボーン・イン・ジャパン」
日本人観をくつがえす/信教の自由を求めて/宣教の拠点−−中国と日本/日本と中国に対するアメリカのノイローゼ/父親オーガストの日本研究/東洋思想に開眼/息子に移植された信条/少年時代の家庭環境/ライシャワーに影響をあたえた日本人/日本こそライシャワーの故郷だった
第2章 日本は「月の裏側」だった
たまたま日本に生まれたアメリカ人/オバーリン大学のリベラリズム/信仰からの離脱/国際問題への関心/ハーバード大学院へ/中国語と格闘する/日本研究の先駆者たち/生涯でもっとも幸せな日々
第3章 円仁の足跡を訪ねて
戦争に突き進む日本の地に/東京帝国大学に学ぶ/古代への旅/歴史を作るのは個人であるという信念/兄の突然の死
第4章 戦争に向き合った学者
東アジア研究の確率へ向けて/日本に対するネガティブなイメージ/兄ロバートが遺した日本報告/日本は中世のままという定説/ガンサーの天皇論/国務省極東課に招聘される/握りつぶされた提言/「中国派」対「日本派」/日米開戦前に公表された意見/「ライシャワー・メモ」/家族に打ちあけた天皇観/暗号解読者と翻訳者の養成/原爆投下の衝撃/対日政策立案に携わる
第5章 「ラージ・アイディア」の時代
ワシントンへ呼びよせられた学者たち/知的傲慢さと底知れぬ無知が引き起こした惨劇/フェアバンクとライシャワー/”田んぼ”講座開講/教師としてのライシャワー/悲観論者と楽観論者/「極東」から「東アジア」へ/共産主義の批判者/「東アジア」の教科書/マルクス主義史観に立ち向かう
第6章 トラジディを乗り越えて あらたな船出
ハーバード大学極東言語学部教授/家族との時間/最愛の妻との別れ/ライシャワーのマッカーサー評/アメリカの対中政策を懸念/学究から本格的な政策提言者に/泥沼のベトナム戦争を予見/アメリカ流に育てられた日本人との出会い/松方ハルとの再婚/ロックフェラーとの交友
第7章 白羽の矢が立つ「そこまで言うなら、やってみろ」
ケネディー大統領の登場/ダレス国務長官に直言する/チャイナ・ロビーの牙城に斬りこむ/中国専門家トムソンとチェスター・ボウルズ/前駐日大使を激怒させた論文/ライシャワーを推したトムソン/マクジョージ・バンディーのアジア観/ラスク長官とスペシャリスト/駐日大使の打診/大使起用のさまざまな反応/上院外交委員会の聴聞会/中共承認擁護を問われる/生涯の大冒険に旅立つ
第8章 光り輝いたひととき
ライシャワー大使着任/イーコール・パートナーシップを揚げて/「占領者のメンタリティー」を取り除く/在日米軍を説得する/「軍事独裁体制」が敷かれていた沖縄/よき理解者となった在日米軍軍事司令官/対等な二国間関係のために奔走する/マッカーサー二世の後継者として/大使館の巨大官僚組織を切り盛りする/外交官の仕事/CIA工作/東京で最重要のアメリカ人として/日本のリーダーや知識人と知りあう/ライシャワーと日本のマルクス主義知識人たち/日本全国を積極的に行脚する/殺到するメディア/右派からの攻撃と闘う/家族内の深刻な諸問題/日本人と膝を交えて/ボビー・ケネディーとのコネクション/大成功だったボビーの再来日/沖縄返還を推進する/核兵器問題と大平正芳/日韓関係の正常化にも尽力する
第9章 空が暗くなる
ケネディ大統領暗殺される/後悔することになる選択/ライシャワー殺傷事件発生/政治的配慮で行われた池田政権/警備の死角/精子の境をさまよう/思いがけない余波/ベトナム戦争に積極関与するアメリカ/バンディ兄弟のおごり/激化するベトナム戦争と日米関係/「有効性のワナ」に陥る/権力に酔いしれる/「いった瞬間、失言と気づいた」/ライシャワーがあかした本音/岩国の核発覚とその真相/幻の「亡命」中国大使構想/ライシャワーのラスク評/宣教師の遺産ーーベトナム/五年半の大使生活のおわり
第10章 ハード・ランディング
教え子からベトナム戦争擁護を詰問される/ようやく語られた本心/日本を揺るがす「ライシャワー発言」/さらなる日本理解を広めるために/ベトナム戦争が日本研究家をひき裂く/E・H・ノーマンとE・O・ライシャワー/徳川時代の評価をめぐり対立する二人/ライシャワー批判派の台頭/重大な欠陥のあるジョン・ダウワーの批判/寂しい私生活/急速に衰える健康/貿易摩擦の激化と新しい敵「日本」/メディアが煽りたてた貿易戦争/ジャパン・バッシングの嵐/「日本封じ込め」論の猛威/リビジョニストを批判する/放送されなかったウォルフレンとの対話
第11章 河口に近づく
一般的アメリカ人の日本人像/日本に対する楽観論の根拠/穏やかな最期の日々/ライシャワーの四つの予言/予見する力/ソフトパワーを外交の基本理念に/日本人への三つのメッセージ/日本国民の将来を信じて
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
註
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ジョージ・R・パッカード (George R. Packard):米日財団理事長。1963年〜65年までライシャワー駐日大使の特別補佐官を務めた。
ちなみに、岩国の核発覚が起きた1966年当時の首相は佐藤栄作。
欺瞞にノーベル平和賞を授与するのは、他の受賞者たちの真摯な行いへの冒涜でもあるとわたしは思います。とても強く。
English Journal 4月号に、ジョージ・パッカードのインタヴュー記事が掲載されています。要注目!