《日本が広島から学んだものとして私にいえることは、あの極大の悲惨に抗して人間が生き延びたこと、そして死んだ人間の、その死への抗い方、生き残った者らの悼み方、記憶の仕方をつうじて、それが人類の威厳を示している、ということです。私らは日本語の文学においてそれをいくらかなりと表現しえたと思います。
日本は、広島から核エネルギーの生産性を学ぶ必要はありません。つまり地震や津波と同じ、あるいはそれ以上のカタストロフィーとして、日本人はそれを精神の歴史にきざむことをしなければなりません。広島の後で、おなじカタストロフィーを原子力発電所の事故で示すこと、それが広島へのもっともあきらかな裏切りです。》
(大江健三郎『私らは犠牲者に見つめられている』ル・モンド紙フィリップ・ポンス記者の問いに『世界』2011年5月号)
世界が広島から学ぶべきもの
それは核エネルギーの生産性などではない!!!
このことを何度も何度も
頭に叩き込め
そしてこのうたを高らかに歌いながら交信しよう!
覚醒せよ
新時代の若者たちよ
無知なる金の亡者たちに
真っ向から立ち向うのだ
なぜならやつらは
軍隊、法廷、大学に潜り込み
精神的闘争を挫折させ
できることなら永久に
肉の戦いを長引かせようとするだろうから
絵を描くひとよ!
彫刻を彫るひとよ!
建物を建てるひとよ!
あなたがたにわたしは呼びかける
当世風気取りの阿呆どもに
あなたがたの力を挫かせてはならぬ
(ウィリアム・ブレイク『ミルトン』の序詞 translated by Lucy)
党派を超えて、ジャンルを超えて、所属性別年代、趣味嗜好の違い、
そして国境など軽々と飛び越え、
永遠なる若者たちよ、今こそ、共通のゴールに向かって、
団結あるのみ!